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釧路地方裁判所 昭和41年(行ウ)3号 判決 1968年3月19日

原告

雪印乳業株式会社

右代表者

瀬尾俊三

右訴訟代理人

二宮喜治

被告

釧路市長

山口哲夫

右訴訟代理人

坂本泰良

ほか一六名

主文

原告の条例公布処分取消しの訴えを却下する。

原告の奨励金交付申請却下処分取消しの請求を棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

(当事者双方の求める裁判)

一、原告

(一)  被告が昭和四〇年一二月二八日付で行なつた条例第二七号釧路工場誘致条例の一部を改正する条例の公布処分を取り消す。

(二)  被告が、昭和四〇年一二月二〇日原告のなした釧路市工場誘致条例第三条の規定による奨励金交付申請に対し、昭和四一年二月一七日付で行なつた却下処分を取り消す。

(三)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二、被告

本案前の申立て

(一)  本件訴えはいずれもこれを却下する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

本案の申立て

(一)  原告の請求はいずれもこれを棄却する。

(二)  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

(当事者双方の事実上および法律上の主張)

第一  原告の主張

一、原告の経歴等

(一) 原告は、大正一四年五月産業組合法により北海道製酪販売組合として資本金五、四五〇円で創立され、バターの製造を開始し、翌大正一五年北海道製酪販売組合連合会に組織が変更され、昭和一六年四月北海道内の他の乳製品会社の事業も総合して、新たに北海道興農公社を資本金一二、〇〇〇、〇〇〇円で設立したが、昭和二二年一月乳製品事業に直接関係のない農地部門を分離して、名称を北海道酪農協同株式会社と改め、その後昭和二三年二月過度経済力集中排除法による指定を受けたので、昭和二五年六月雪印乳業株式会社と北海道バター株式会社(後にクロバー乳業株式会社と商号変更)に分離され、又その後昭和三三年一一月右両会社が合併されて今日に至つているものであつて、現在の資本金は金五、〇〇〇、〇〇〇、〇〇〇円である。

(二) 原告は、乳製品、飲用牛乳、アイスクリーム、マーガリン等の製造および販売をその事業内容としている。

(三) そして、原告は、北海道から九州に至るまで各地に主要工場を五二カ所、支店を一三カ所、その外に集乳工場、営業所等を多数有しており、北海道内においては、釧路工場を含む主要工場を二三カ所、支店を一カ所、営業所を五カ所、その外集乳工場等を多数有している。

(四) 原告の釧路工場は、昭和四年一一月釧路郡鳥取村(現在釧路市鳥取町)に工場建設を行なつたのがはじまりで、翌昭和五年六月よりバターの製造を開始し、昭和一一年四月より飲用牛乳の処理販売をも開始したが、昭和一二年一一月現在地である同市貝塚町一二番地に移転し、昭和一六年四月北海道興農公社の設立に伴い、明治乳業株式会社釧路工場を合併して、引き続き乳製品、飲用牛乳等を製造し、又昭和二四年六月アイスクリームの製造販売を開始し、昭和二六年三月にはチーズ、同年五月には育児用粉乳の製造をそれぞれ開始し、昭和三〇年八月にはチーズ製造室を増築することにより各種チーズの製造能力を増強し、更に昭和三六年九月チーズ製造室および醗酵室の増築工場を竣工させ、昭和三九年にはアイスクリーム冷蔵庫の増築工事を行ない、収容能力の増強にあてるなど、着実に発展してきたものである。

二、釧路市工場誘致条例の制定と奨励金交付の実態

(一) 釧路市は、昭和二九年九月二二日条例第二六号をもつて、釧路市工場誘致条例を制定し、その後昭和三二年六月二四日、昭和三五年三月三〇日、昭和三九年七月四日および昭和四〇年三月二五日の四回にわたつて、同条例を改正した。そして、右条例は、その三条において「本市は、工場の新設又は増設があつた場合、この条例の定めるところにより次の方法で助成を行なうことができる。(1)奨励金の交付 (2)前号の外、工場の新設又は増設についての協力」と規定し、四条において、「奨励金は、本市産業の振興に寄与する事業で、投資額五、〇〇〇万円をこえるものに交付することができる。」と規定し、五条一項において、「奨励金の額は、その工場(工場の増設の場合はその部分)について、当該年度に課された固定資産税の相当額に、次の各号に掲げる割合を乗じて得た額(工場増設の場合は、次の各号に掲げる割合に一〇〇分の七〇を剰じて得た額)の範囲内とし、その期間はその工場が操業を開始し固定資産税を課された年度から三年とする。但し、市長が特別の事由があると認めたときは、更に二年を限つて延長することができる。(1)初年度一〇〇分の一〇〇 (2)次年度一〇〇分の七五 (3)その後の年度一〇〇分の五〇」と規定していた。

(二) この釧路市工場誘致条例によつて釧路市より奨励金の交付を受けた件数は、昭和三〇年度から昭和三九年度までの一〇年間に合計七〇件に及んだが、同条例に定められた基準に適合する限り、これまで奨励金の交付を申請して拒否された事例は一件もなかつた。しかして原告は右期間内に二回の工場増設を行ない、昭和三〇年の増設分については昭和三一年に二〇六、〇〇〇円、昭和三六年の分については昭和三七年に八四一、〇〇〇円の奨励金の交付決定を受けた。

三、新設工場の完成

原告は、昭和四〇年九月、主として京浜、京阪方面の市乳の需要に応じるため、釧路市貝塚町一二番地に牛乳の滅菌処理工場を新設した。右新設工場は原料乳を釧路市周辺から集乳し、製造するものであり、釧路市の産業の振興に寄与していることは明白である。しかして、右工場の規模および設備の概要は別紙(一)、製品の特性は別紙(二)にそれぞれ記載したとおりである。そこで、原告は昭和四〇年一二月二〇日被告に対し釧路市工場誘致条例七条一項に従い、助成申請書を提出したところ、同日受理された。

四、釧路市工場誘致条例の一部改正

ところが、昭和四〇年一二月二八日釧路市議会は釧路市工場誘致条例の一部改正案を議決し、被告は即日これを公布し、同日右改正条例が施行されることとなつた(昭和四〇年一二月二八日条例第二七号)。この改正の趣旨は従前行なわれていた工場の新設又は増設に対する助成のうち、増設に対する奨励金の交付を廃止するというものである。なお経過措置として、改正条例附則三項には、「改正前の条例の規定により、昭和四〇年度を初年度として奨励金の交付の対象となるものについては、なお従前の例による。」と規定されている。

五、奨励金交付申請の却下

被告は、昭和四一年二月一七日に至り、原告の本件工場の建設は釧路市工場誘致条例に定める工場の新設に該当せず、同条例にいう同条例にいう増設に該当するものであるとし、右改正条例の施行によつて、昭和四〇年度内に既に増設工事を完成したものを含め、将来あらゆる増設工事に対する奨励金の交付は廃止されたから、原告の右増設分についても、奨励金交付の対象とはならないとの理由で、原告の奨励金交付申請を却下した。

六、本件改正条例の公布処分の違法性

本件改正条例の公布により、原告は直接具体的に次のとおり権利を侵害されたから、右公布行為は違法であり、ここにその取消しを求める。

釧路市工場誘致条例により交付される奨励金は、被告がその自由裁量により決定するのでなく、右条例の基準に適合し、かつ所定の申請書を所定の期間内に提出したものに対しては、右条例に定められた額により、必ず交付されるべきものであつて、この意味で右条例は被告を覊束しているのである。したがつて、奨励金交付請求権は、釧路市工場誘致条例に定められた客観的基準に適合する工場の新設又は増設という事実行為の完成により当然に発生するものであり、右請求権の性質は同条例から流出派生する一つの私法上の財産権に外ならない。ただ、奨励金の額および交付を受ける期間は、同条例五条により、当該工場に対する固定資産税が賦課された後に具体的に確定するのである。しかして原告は、本件工場の建設工事を完了した遅くとも操業開始の前日である昭和四〇年九月二九日に奨励金交付請求権を取得した。そこで原告は前叙のとおり昭和四〇年一二月二〇日被告に対し奨励金交付の助成申請書を提出したところ、同日受理されたにもかかわらず、被告は昭和四一年二月一七日に至つて、右申請を却下したのである。もとより原告としては、後に述べるとおり、本件改正条例の公布によつて既に原告が取得した奨励金交付請求権に何らの消長を及ぼすものでないと解するが、被告が原告の申請を却下した理由によれば、本件改正条例の公布により原告の取得した奨励金交付請求権が剥奪されたという趣旨が窺われるのである。そうだとすれば、本件改正条例の公布行為は、原告の具体的な財産権を侵害する違法な処分と断ぜざるを得ない。

七、本件奨励金交付申請却下処分の違法性

被告がなした本件奨励金交付申請の却下処分は、次のような理由により違法であるから、ここにその取消しを求める。

(一) 原告が昭和四〇年九月に設置した工場は、前叙のとおり、釧路市工場誘致条例にいう新設に該当し、したがつて原告が工場新設としての奨励金交付請求権を取得したにもかかわらず、被告は右工場の建設を新設ではなく増設であると認定した上、原告の奨励金交付申請を却下したのであるが、これは事実の認定を誤り、ひいては右条例の解釈適用を誤つた違法な処分である。

(二) 仮に原告の本件工場設置が釧路市工場誘致条例にいう新設ではなく増設であるとしても、前叙のとおり、改正条例附則三項には、「改正前の条例の規定により昭和四〇年度を初年度として奨励金の交付の対象となるものについては、なお従前の例による。」と規定されており、奨励金交付請求権は本件工場の増設という事実行為の完了により当然に発生するものであるから、遅くとも昭和四〇年九月二九日までに完了した原告の本件工場の増設はまさに右附則三項に該当するわけである。そして、奨励金交付申請に対する被告の審査および交付決定は、右申請が釧路市工場誘致条例に定められた客観的基準に具体的に適合するか否かの確認行為と解すべきであつて、被告は、奨励金交付申請が右基準に適合する限り、必ず奨励金を交付しなければならない法律上の義務を負い、自己の裁量により、これを交付するか否かの自由を有するものではない。しかるに、被告が原告の本件奨励金交付申請を却下したのは、奨励金交付請求権の法律的性質および改正条例附則三項の解釈を誤つた違法な処分である。

八、以上の理由により、原告は被告に対し、

(一) 被告が昭和四〇年一二月二八日付で行なつた条例第二七号釧路市工場誘致条例の一部を改正する条例の公布処分の取消し

(二) 被告が、昭和四〇年一二月二〇日原告のなした釧路市工場誘致条例第三条の規定による奨励金交付申請に対し、昭和四一年二月一七日付で行なつた却下処分の取消し

を求める。

九、被告の本案前の主張に対する反論

(一)(1) 条例の公布処分は、次のような理由により、それ自体独立して抗告訴訟の対象となりうるものである。

条例は、普通地方公共団体の議会の議決によつて、その内容が一応確定するのであるが、地方自治法一七六条によれば、当該普通地方公共団体の長に、右議決に対し再議を求める方法即ち長の拒否権の制度が認められているのである。又同法一六条二項には、「普通地方公共団体の長は前項の規定により条例の送付を受けた場合において、再議その他の措置を講ずる必要がないと認めるときは、その日から二〇日以内にこれを公布しなければならない。」と規定されており、条例の内容につき評価判断を下す権限が長に与えられているのである。即ち、地方自治法は、議会と長の両者の抑制均衡によつて、条例により住民の権利ないし利益が侵害されるのを防止しようとしているのであり、長に対し、条例の内容につき評価判断を加える権限を付与したことにより、住民の権益を保障する使命を長に付託したというべきである。したがつて、一般法令の公布の場合における公布機関は一つの表示機関にすぎず、何ら法令の内容に関与するものではないが、条例の場合はこれと異なり、長が議会の議決した条例に異議を述べず、再議その他の措置を講ずる必要がないと認めて公布したときは、長の右公布行為は、一般法令の公布行為としての性質を有すると同時に、条例に関する議会の評価判断を不当ではないとし、あるいは違法ではないとする長の評価判断をも包含しているわけである。それ故、条例の公布行為は、一般法令の公布行為とは違い、それ自体独立して抗告訴訟の対象となり得る性質を有するものである。

(2) 原告が、被告の行なつた本件改正条例の公布行為により既に取得していた奨励金交付請求権を直接具体的に侵害されたことは、既に原告の主張六の中で詳論したとおりである。したがつて、原告は本件改正条例の公布行為の取消しを求める訴えの利益を有している。

(二) 原告の本件奨励金交付申請却下処分の取消しを求める訴えは適法である。

即ち、釧路市工場誘致条例により交付される奨励金は、被告の自由裁量により決定されるのではなく、右条例の基準に適合し、かつ所定の申請書を所定の期間内に提出したものに対し、必ず交付されるべきものであることは、既に述べたとおりである。したがつて、右条例の解釈適用を誤つた結果、適法な奨励金交付申請を却下した場合は、違法な行政処分となるのであり、これに対し抗告訴訟を提起することが許されるのである。

第二  被告の本案前の主張

一、原告の本件改正条例の公布処分の取消しを求める訴えは、次の理由により不適法である。

(一) 普通地方公共団体の長の行なう条例の公布行為は、普通地方公共団体の条例制定過程における附随的補充的な行為にすぎないから、条例の公布行為のみをとらえて、これに対し抗告訴訟を提起することはできない。

(二) 仮に条例の公布行為自体が独立して抗告訴訟の対象となる場合がありうるとしても、被告の行なつた本件改正条例の公布行為は、そのことにより直接に原告の具体的な権利を侵害するものではないから、右公布行為の取消しを求める訴えは、その利益を欠くものである。

二、原告の本件奨励金交付申請却下処分の取消しを求める訴えも亦不適法である。

即ち、釧路市工場誘致条例に基づく奨励金の交付申請に対し、被告が奨励金の交付決定をするか、あるいはその申請を却下するかは、被告において、それが右条例所定の目的に合致するかどうか等につき検討判断の上なされるいわゆる自由裁量事項に属することである。そうすると、被告が原告の奨励金交付申請を却下しても、それは違法な行政処分とはならず、これに対し裁判所の裁判権は及ばないから、これを抗告訴訟とすることはできないのである。

第三  被告の本案についての主張

一、原告の主張一のうち、原告が、乳製品、飲用牛乳、アイスクリーム、マーガリン等の製造、販売を事業内容とする会社であること、および原告が釧路市に工場を有することは認めるが、その余の事実は知らない。

二、原告の主張二の事実は認める。もつとも、釧路市工場誘致条例で定められた基準に適合する場合、これまで奨励金の交付申請をして全面的に拒否された事例はなかつたが、奨励金の交付は、申請の都度厳密に審査し、交付決定をしていたのであつて、交付した金額などは必ずしも申請されたものと同じではない。

三、原告の主張三の事実のうち、原告がその主張の日に助成申請書を提出したことは認めるが、原告が滅菌処理工場を新設したとの主張は否認する。

四、原告の主張四および五の事実は認める。

五、原告の主張六は争う。被告が本件改正条例を公布したことにより原告は何ら具体的な権利を侵害されたわけでなく、右公布行為には何ら瑕疵がない。奨励金交付請求権は基本的には公法上の給付関係における請求権であり、被告の奨励金交付決定によつてはじめて生ずるものであつて、原告が主張する如く、工場の新設又は増設という事実の発生により当然に生ずるものではない。即ち、奨励金は、工場の新設又は増設のすべてに対して交付されるものではなく、奨励金交付申請のあつた工場の新設又は増設のうち、被告がその実態を審査し、釧路市工場誘致審議会の審議、答申を経て、交付を適用と認めたものについて、更にその工場に課税される固定資産税の納付をまつた上で、最終的に市の予算、政策等を勘案して奨励金の交付決定を行ない、交付することになつている。そしてこのことは、奨励金が釧路市の産業振興の目的のため政策的配慮に基づき恩恵的に与えられるものであることに徴すれば自ら明らかなところである。したがつて、原告は本件改正条例が公布された当時、これにより侵害されるべき具体的な権利を有していなかつたわけである。

六、原告の主張七は争う。被告の本件却下処分は、判断を誤つた違法なものではなく、本件改正条例に従つた正当な処分である。なお改正条例附則三項の意味は、昭和三九年中に増設工事を完成している場合は、従前どおり昭和四〇年度は初年度として、奨励金の交付をすることができるとしているものであつて、原告が主張するように、昭和四〇年中に増設工事を完成した場合を定めた規定ではない。昭和四〇年中は増設工事を完成した場合における奨励金交付の初年度は昭和四一年度ということになる。

理由

第一  本件改正条例の公布処分の取消しを求める訴えについて

原告は、被告が昭和四〇年一二月二八日付で行なつた条例第二七号釧路市工場誘致条例の一部を改正する条例の公布処分の取消しを求めるので、まず右訴えが適法であるかどうかについて検討することとする。

一成文の法令、例えば法律は国会の議決により、政令は内閣の決定により成立するのであり、その成立した法令の内容を一般国民に知らしめるための表示行為が法令の公布であつて、これにより法令は国民に対し現実にその拘束力を発動させることになる。かように法令の公布は、既に一定の内容をもつて成立している法令を周知させるため外部に表示する行為であり、法令の制定行為に対する附随的なものにすぎないから、法令の公布行為のみを把えて、これを抗告訴訟の対象とすることはできないものというべきである。ところが原告は、条例については、地方自治法一六条、一七六条により、普通地方公共団体の長に再議、審査申立ておよび出訴の権限が与えられている点からみて、条例の公布行為は条例に関する議会の評価判断を不当あるいは違法ではないとする長の評価判断をも包含するものというべきであるから、それ自体独立して訴訟の対象となり得る性質を有すると主張する。しかし長が再議等の権限を行使しないことと条例を公布することは別個の行為であつて、長に再議等の権限があるからといつて、条例が議会の議決によつて成立し、その公布が単なる外部への表示行為であつて附属的なものにすぎないことに変りはなく、しかも長の価値判断を不当あるいは違法なりとして攻撃することは実質的には議会の議決即ち条例そのものを攻撃することに帰着するのであるから、条例の公布行為をとりあげてこれを訴訟の対象とすべきものではないといわなければならない。

二なお、裁判所法三条一項は、「裁判所は、日本国憲法に特別の定のある場合を除いて一切の法律上の争訟を裁判し、その他法律において特に定める権限を有する。」と規定している。ここにいう法律上の争訟とは、特定の当事者間において法令を適用することによつて解決しうべき具体的な法律関係の存否又は権利義務に関する紛争をいうのであつて、裁判所はかかる紛争に対し事実を確定し、この事実に法令を適用することによつて、当事者間の紛争を公権的強行的に解決するのであり、かかる具体的な争訟事件を離れて、不特定多数人に対する抽象的一般的な法規範をその内容とする法令の効力について、一般的な判断をする権限を有するものではない。しかしながら、法令であつても、その適用を受ける特定の者に対し具体的な法律関係の存否又は権利義務に変動をおこす直接的な効果を与える場合がある。このような場合には、当該法令自体を一種の行政処分としてとらえ、これに対して抗告訴訟を提起し、その効力を争うことが許されるものと解することができる。

そこで、本件釧路市工場誘致条例の一部を改正する条例(昭和四〇年一二月二八日条例第二七号)が、原告の主張するように、工場増設による奨励金交付請求権を直接に侵害するものであるかどうかについて考えてみることとする。釧路市工場誘致条例は、その三条(本件改正前のもの)で、「本市は、工場の新設又は増設があつた場合、この条例の定めるところにより次の方法で助成を行なうことができる。(1)奨励金の交付 (2)前号の外、工場の新設又は増設についての協力」と規定し、四条で「奨励金は、本市産業の振興に寄与する事業で、投資額五、〇〇〇万円をこえるものに交付することができる。」と規定し、五条(本件改正前のもの)はその一項で、「奨励金の額は、その工場(工場の増設の場合はその部分)について、当該年度に課された固定資産税の相当額に、次の各号に掲げる割合を乗じて得た額(工場増設の場合は次の各号に掲げる割合に一〇〇分の七〇を剰じて得た額)の範囲内とし、その期間はその工場が操業を開始し固定資産税を課された年度から三年とする。但し、市長が特別の事由があると認めたときは、更に二年を限つて延長することができる。(1)初年度一〇〇分の一〇〇 (2)次年度一〇〇分の七五 (3)その後の年度一〇〇分の五〇」二項で、「工場の新設でその投資額が一〇億円以上のものについては前項の規定にかかわらず、議会の議決を経て奨励の方法を定めるものとする。」と規定している。そして七条一項では、「奨励金の交付を受けようとする者は、事業開始の日から三月以内に、協力を受けようとする者は、この都度別に定める申請書を市長に提出しなければならない。」と規定し、これを受けて、同条例施行規則四条では、「市長は、前条の申請書を受理したときは審査し、適当と認めたときは、その工場に対する助成の限度その他必要な条件を付して助成するものとする。」と規定し、更に数次にわたる同条例の一部を改正する条例(昭和三五年条例第一号、昭和四〇年条例第九号、同年条例第二七号)はいずれもその附則二項において、「この条例施行前に、奨励金の交付の決定をうけたものについてはなお従前の例による。」と定めている。これらの規定によれば、工場の新設又は増設をした者から市長に対して奨励金の交付申請がなされ、市長がその審査の結果助成を適当であると認めて奨励金交付の決定をしてはじめて、右の者は奨励金交付請求権が生ずるものと解されるのであつて、このことは後に第二、一、(一)で記す奨励金交付の法律関係を考えあわせればさらに明らかであり、原告の主張するように、工場の新設又は増設という単なる事実行為の完了によつて当然に右請求権が発生するものとは到底解しがたい。したがつて、本件政正条例が前記釧路市工場誘致条例三条の「(1)奨励金の交付」を(1)「工場の新設に対する奨励金の交付」と改め、工場の増設に対し奨励金を交付する制度を廃止しても、本件改正条例施行前に奨励金交付の決定を受けて工場増設による奨励金の交付請求権を取得している者が本件改正条例によつてその権利に影響を受けないことは前記附則の定めるところであるから、何ら工場増設による奨励金交付請求権を侵害するものではない。

かようなわけで、本件改正条例は抗告訴訟の対象となりえないものといわなければならない。また本件改正条例の公布行為が、原告の主張するように、その具体的権利を侵害するものでないことも、以上の説示によつて、明らかであろう。

三そうすると本件改正条例の公布処分の取消しを求める訴えは不適法であるといわなければならない。

第二  本件奨励金交付申請に対する却下処分の取消しを求める訴えについて

一原告が昭和四〇年一二月二〇日被告に対し釧路市工場誘致条例による奨励金交付の助成申請書を提出し、被告が昭和四一年二月一七日付で右申請を却下したことは当事者間に争いがない。まず、被告がなした右奨励金交付申請に対する却下処分が抗告訴訟の対象となりうるかどうかについて、検討することとする。

(一)  事業を援助するためその遂行者に金銭を与える法律関係は一般に贈与であつて、本来対等な当事者の関係である。ところで、釧路市工場誘致条例は、一条で「この条例は、本市に工場を誘致するために、その工場に対して助成を行ない、もつて本市の産業振興に寄与することを目的とする。」と規定し、その四条の規定とあわせて、奨励金の交付が釧路市の産業の振興という行政上の目的に出るものであることを明らかにしたうえ、八条では、「この条例の適用を受ける者が、次の各号の一に該当する場合は、協力の取消又は奨励金の一部若しくは全部の返還を命ずることがある。(1)第四条に定める工場の基準を欠くに至つたとき。(2)事業を休廃止したとき又はその状態にあると認められたとき。(3)詐偽又は不正行為によつて助成を受け、又は受けようとしたとき。(4)この条例に定める事項に違反したとき。」と規定し、更に七条二項で、「前項の申請事項に変更があつたときは、一月以内にその旨を市長に届出なければならない。」と規定し、九条で、「市長は、助成を受けた者に対して必要な調査を行ない又は報告を求めることができる。」と規定して、奨励金の交付について権力的規制を加えているが、これらの規定によつても、奨励金の交付が行政権の優越的地位における公権力の発動たる実体を具えているとみるのは困難であつて、その実質は贈与契約とみるべきであろう。しかしながら、同条例七条は、奨励金の交付を受けようとする者は……申請書を市長に提出しなければならない。」と規定し、同条例施行規則四条は、「市長は……申請書を受理したときは審査……する。」と規定して、奨励金交付の申入れの形式を「申請」としており、同条例の改正に伴う附則(昭和三五年条例第一号、昭和四〇年条例第九号、同年条例第二七号)は、すでに記したように、奨励金交付の形式を「決定」と規定しているのであつて、釧路市工場誘致条例は奨励金の交付を形式上公権力の行使としてなす一方的な行為として組立ててているものと解される。即ち奨励金交付の決定あるいは奨励金交付申請却下の決定は、その実質においては贈与契約の申込みに対する承諾あるいは拒絶であつて、本来非権力的な作用であるが、条例上形式的には行政処分として構成されているものというべきである。そして権力作用の実体を伴わない形式的行政処分について、これを抗告訴訟の対象から排除する理由はないのであつて、行政事件訴訟法三条の「処分」として扱うべきであるから、奨励金交付申請却下の決定に対しては、右申請に対する拒否処分として、抗告訴訟をもつて、その当否を争うことができるものというべきである。

(二)  次に、被告は、釧路市工場誘致条例に基づく奨励金交付申請に対し、交付の決定をするか、あるいはその申請を却下するかは、被告の自由裁量事項に属することであり、自由裁量による行政行為に対しは裁判所の裁判権が及ばないから、本件却下処分の取消しを求める原告の訴えは不適法であると主張する。しかし釧路市工場誘致条例に基づく奨励金の交付が果して被告の自由裁量事項であるかどうかはしばらく措き、自由裁量による行政行為であつても、それが裁量権の限界を超え、右条例の目的に悖るような場合には、違法性を帯びるわけであるから、本件却下処分が被告の自由裁量行為であることの故をもつて、これに対し裁判所の裁判権が及ばないということはできない。裁判所が審理を尽した結果、被告の本件却下処分がその裁量の限界を超えていないことが判明すれば、これに違法性が存しないということに帰着し、原告の請求は理由がないことになるにすぎないのである。したがつて、この点に関する被告の主張は失当であつて、採用できない。

(三)  以上の理由により、本件却下処分の取消しを求める原告の訴えは適法であるといわねばならない。

二よつて、本案に関して判断を進めることとする。

(一)  原告は、まず、昭和四〇年九月、主として京浜、京阪方面の市乳の需要に応ずるため、釧路市貝塚町一二番地に牛乳の滅菌工場を新設したので、工場新設としての奨励金交付の申請をしたところ、被告は右工場を新設ではなく増設であると設定して右申請を却下したから、右却下処分には、事実の認定を誤り、ひいては釧路市工場誘致条例の解釈を誤つた違法があると主張するので、この点について考えてみることとする。

釧路市工場誘致条例では、その二条に用語の定義を定めており、これによれば、「工場の新設」とは「本市内にあらたに工場を設置する場合をいう。」とされており、又「工場の増設」とは「本市内に既存の工場を有するものが、工場の拡充により著しく増産を示し得るものと認められる場合をいう。」と定義している。ところが原告の主張によれば、原告の前身である、北海道製酪販売組合連合会は、昭和四年一一に釧路郡鳥取村(現在釧路市鳥取町)に工場の新設を行なつて、バターの製造や飲用牛乳の処理販売を開始し、昭和一二年一一月には現在地である同市貝塚町一二番地に工場を移転したものであるところ、昭和四〇年九月に建設された工場は従前の工場と同じ場所に建設されたものであり、右工場では牛乳の滅菌処理加工をするのであるが、ただその工程が従来国内において行なわれたことのない全く新規の工程であり、その製品がビン詰ではなく特殊な紙容器に充填されるというにすぎないのである。そうすると、原告は釧路市にあらたに工場を建設したわけではなく、単に工場を拡充することにより増産を図つたものと解せられるから、原告の建設した工場は、釧路市工場誘致条例にいう工場の増設にこそ該当すれ、工場の新設に該当しないことは、多言を要しないところである。

したがつて、工場を新設したことを前提とする原告の右主張は失当である。

(二)  次に、原告は、仮に本件工場の建設が増設であるとしても、奨励金交付請求権は工場の増設という事実行為の完了により当然発生するものであるから、遅くとも昭和四〇年九月二九日右増設を完了すると同時に工場増設による奨励金交付請求権を取得したが、このような場合、改正条例附則三項によれば、なお従前の例によることとされているので、本件工場の増設には、本件改正前の釧路市工場誘致条例を適用すべきであり、しかも被告は奨励金を交付するか否かの裁量権を有するわけではないから、当然その交付決定をすべきであるのに、被告が原告の本件奨励金交付申請を却下したのは、奨励金交付請求権の性質および改正条例附則三項の解釈を誤つた違法があると主張するので、この点について検討することとする。

まず、工場の増設をしたという事実行為の完了のみで、奨励金交付請求権を取得するものでないことは、既に第一、二で説示したとおりである。

次に、本件改正条例附則三項には、「改正前の条例の規定により、昭和四〇年度を初年度として、奨励金の交付の対象となるものについては、なお従前の例による。」と規定されているので、右規定が意味するところを考えるに、釧路市工場誘致条例五条によれば、奨励金の額は当該工場について当該年度に課された固定資産税の相当額に同条に定められた一定の割合を乗じて得た額の範囲内で決定され、その期間はその工場が操業を開始し固定資産税を課された年度から三年とすると規定されているところ、地方税法三五九条によれば、固定資産税の賦課期日は当該年度の初日の属する年の一月一日とされており、この時に課税台帳に所有者として登録されている者に課税されるわけであるから、本件工場が原告主張のように昭和四〇年九月に建設されたとすると、これに対する固定資産税の第一回賦課期日は昭和四一年一月一日であり、奨励金交付についての初年度は昭和四一年度ということになる。したがつて、本件工場に対しては改正条例附則三項が適用される余地のないことは明白である。そして本件改正条例が公布施行される前に工場の増設を完了していて本件改正前の規定によれば昭和四一年度を初年度として奨励金の交付の対象となるものに対しても経過規定を設け、なお従前の例によるべきものとするかどうかは、単に立法政策の問題にすぎず、本件改正条例にはそのような経過規定は設けられていない。

そうすると、被告が昭和四一年二月一七日、本件改正後の釧路市工場誘致条例を適用して、工場の増設に対する奨励金交付が廃止されたことを理由に、原告の本件奨励金交付申請を却下したことについては、毫も違法が存しないといわねばならない。したがつて、本件工場の増設に対して、なお本件改正前の釧路市工場誘致条例を適用すべきことを前提とする原告の右主張は、その余の点について判断するまでもなく失当として排斥を免れない。

第三  結論

以上の次第で、本件改正条例の公布処分の取消しを求める原告の訴えは、不適法として却下し、本件奨励金交付申請に対する却下処分の取消しを求める原告の請求は、失当として棄却することとし、訴訟費用の負担について、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。(石川 恭 篠田省二 喜多村治雄)

別紙(一)(二)<省略>

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